いよいよ稲刈りがスタートした。
1年に1回だけの稲刈りだ。
4月に種を蒔き、肥料をやり、5月に田植え、草取り、
追肥と防除をしてようやくの稲刈り。
9月の天気があまりぱっとしなかったが、それでも稲は
元気に育った。
今年の米は美しい。
美しい米は美味しい。
それは決まっている。
育てられた作物は美味しくない。
大きく育てられたからだ。
自ら育った作物が持つ美しさは
美味しさに直結している。
作物の持つ本来の味だからだ。
本来の味。
それは自然であり、私たちが本来必要としているもの。
より美味しく、より手軽に。
そういうことを追求したものとは違う、本来あるべき姿。
それは私たちの生きる姿と重なる。
先に進む文化と根源に戻る伝統。
その両方は大切な要素であることは間違いない。
しかし、本来の姿を知らないのはいただけない。
本来の姿を知ることで、自分が何者であるかを
知ることができる。
知ることができれば、よりよく生きることができる。
よりよく生きるとは長生きだけを指すのではない。
もちろん長生きも必要な要素だが、今、健康で自分の
健康な意思で生きることだ。
私たちは本来健康な意思の持ち主なのだ。
健康な意思は健康な体を作る動機。
新米の季節は、そういうことをもう一度思い出させてくれる
貴重な時期だ。