春はめまぐるしい。季節の移り変わりもめまぐるしいけれども、自分の手帳の書き換えもめまぐるしい。書いては消して書き換える。修正テープが威力を発揮します。
こどもたちの活動もめまぐるしい。大会に出場したり、ケガして手術したり。それに伴って手帳の書き込みも変更されていく。鉛筆で書いたほうがいいのかと思うくらい。鉛筆で書かない理由は特段ないのだけれど。
落語を聞いて寝る習慣がついている。いつもマクラを聞いているうちに寝てしまうのだけれども、その中にもいい言葉があるのだけれども、寝落ちしているので覚えていない。それを探そうとするのだけれども、なかなか探せない。
人生は探すことで大半を占めているといわれている。実際そうなのかもしれない。上手に探す人のことを尊敬もしている。子どもに探してもらうとあっという間に探し出す。こどもの能力はすごいなあと感心してしまう瞬間でもある。
1週間見ないと小学生の目線が変わっていると妻が言っていた。男子3日合わざれば刮目してみるべしと故事でも言っている。彼らの成長もまためまぐるしいのだ。NHKのチコちゃんにぼーっと生きているのは僕らなのかもしれない。
常識にとらわれない。カップヌードルの生みの親は言っていた。既成概念を打ち破るのだ。子どもの心で、大人の仕事をする。そういう人もいる。春はそういう季節なのだ。
今朝の「チコちゃんに叱られる」の中で、宇宙人を見たという人は春先に多いのだとか。