授業が分からないという子が増えてきたように思う。昔もいたのかもしれないけど、今ほどだったかどうかは正直わからない。けれどもそういう声を親御さんからも聞く。
考える授業に変わってきたからなのか?そもそも変わってきているのか?だとしたらすごいことである。人間は考える葦であると言ったのはパスカルだけれども、考えるってそもそもどういうことだろう?
考えればわかる。でも考えるって何をすればいいんだろう?考えることを考える。哲学的。考えると考える。試行錯誤。トライアンドエラー。七転八倒。違い。七転び八起きだ。起き上がるために転ぶ。わざとじゃない。でも転ぶ。
最初から転びたい人はいない。赤ちゃんはできないと泣く。子どもも泣く。老人は怒る。でも僕らは、、、諦める?^^かわいい子には、とか言うけれど、それって難しいでしょう。冷たいねーって。
子どもに人気のYouTube。最近まで子どもだった人もだんだんと大人になってきているので、若者まで大人気になってくるのかな。少ししたら国民に人気ってだるんだろうか。まあそれはさておき、YouTubeにはわかりやすい・・・というたぐいの動画がたくさんある。僕も先日、ギターの弦の張替え動画を見たばかりだ。わかりやすい。丁寧。そしてわからないときは別のがたくさんある。山ほどある。
つまり、考えなくても生きていけるのですね。必要ないのです。だからわざわざ考えることが面倒なのです。僕だって実際そうです。まずは、チャレンジ!なんて言って弦を無駄にはできないし、時間だってもったいない。今は暇だからいいけど。
ということは、考えることをもう一回考えないといけない。新しい”考える”を。
考えるってのは、気づきが欲しいわけですね。実際のところ。だから気づかせるように進めていくのだどうだろうか?気づき。ヒント形式。でも意地悪い感じもする。じゃあ、答えを教えちゃう!ってなっちゃいますね。実際公文の教室ではそういうこともしています。プリントの問題を解いちゃう、こんな感じって。例題の例題。これもありかも。やってみて、どう?って。
アルテにしてもディスクゴルフにしても同じようにしている。こんな感じって。
まだ答えはわかってないですよ。僕にも。考えたばっかりだから。